ルイ・ヴィトンの砂漠の嵐|スージー・メンケス

ルイ・ヴィトンの砂漠の嵐|スージー・メンケス
スージー・メンケスが、パームスプリングスで開かれたルイ・ヴィトンの2016年クルーズコレクションをレポート。
パームスプリングスの乾ききった山に着陸した宇宙船のように、ボブ・ホープのかつての邸宅は、滑らかに流れるようなシルエットのスカートやスニーカーを履き着こなし、ショートパンツから伸びた脚を見せて闊歩するモデルたちを歓迎した。モデルたちは、急降下する円盤のような屋根の下、テラスをウォーキングしてプールの水面に反射する落日の光の中へと入っていった。ルイ・ヴィトン 2016年クルーズコレクションが今、始まったのだ!

この壮大なショーこそ、1973年に建築家ジョン・ラトナーによって作られた火山の噴火を思わせるモダニズムの豪邸に調和し70年代の感覚を帯びた、ルイ・ヴィトンのクルーズコレクションである。そして、それはデザイナーであるニコラ・ジェスキエールの素晴らしさを引き出していた。

ジェスキエールはキャリアをスタートさせた時からフューチャリズムを唱道してきた。だが、今回の宇宙への旅は、経験から来るすべての技巧を備えつつ、ハイブランドの旅の起源に自然な形で合致しているように見えた。たとえ、バッグがトラベル用ではなく、小さなクラッチバッグやスクエア型のボックスであったとしても、それはエネルギーに満ち溢れた前進のように思えた。
ミシェル・ウィリアムズ、セレーナ・ゴメスからカニエ・ウェスト、アジアの女優マギー・チャン、フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴに至るまで、豪華なセレブリティも会場を訪れ、屋外テラスの未来的な観客席に着く前に、緑の芝生の上でシャンパンを飲み干していた。

ルイ・ヴィトンの執行副社長であるデルフィーヌ・アルノーは、彼女の父で同社会長兼CEOであるベルナール・アルノーと息子アレクサンドル・アルノーとともにオーディエンスとして加わり、ライトなロングドレスに身を包んでいた。そして、ウエストラインから肌をのぞかせているモデルたちが、ショーのステージに向かって階段を下りるのを見守っていた。

乾燥した風景と、地肌がむき出しになった丘を見渡す部屋にあるバックステージで、ジェスキエールはなぜ、ボブ・ホープとドローレス・ホープ夫妻の20世紀半ばのモダニズムが、彼の創造的な魂に訴えかけたのかについて語りはじめた。「プロジェクトとしては、実に空想的なものなのです。15年前、モダニズムの象徴であり、まるで都市の城のようなこの家を知った時から思い描いていました。そして、その姿に感銘を受け、ルイ・ヴィトンで仕事を始めた時に、すでに人々がアートに向かって旅をし、それが建築的な旅になるという感覚を抱いていました。その計数的なイメージの力は、人々が実際に確かめたくなるような、別の力強い体験になったのです」

旅の触媒としてのアートの概念は、パームスプリングス・アート・ミュージアムへの訪問から生まれた。そこでは、ルイーズ・ブルジョワやバーバラ・ヘプワースの彫刻、ロイ・リキテンスタインの絵、そしてアンゼルム・キーファーによるスチール、プラスター、ファブリックの混成素材の作品が、砂漠都市とモダンアートとの融合という狙いを強固なものにしていた。
今回のクルーズコレクションでは、スニーカーで颯爽と闊歩するような女性に向けたロングのソフトドレスをはじめ、70年代風のくすんだレッドカラーを用い、ハードとスポーティが絶妙に合わさったレザージャケットなどが登場した。ホワイトドレスにあしらったブルーのフラワーチェーン、ブラックのブローグに刺繍されたデイジー、そして肩のソフトドレープや、コットンシャツに合わせたショートパンツなどのガーリーなスタイルにも、愛らしさが醸し出されていた。

ジェスキエールは、ボブ・ホープの豪邸で見出したスタイルについて言及した。そこでは、建築様式としてのブルータリズムと、どこか甘美なものとが対照をなしている。バスルームには蝶のプリント、屋内プールの周囲にはペイントされた草木があしらわれ、コンクリートと砂漠の原石が、その邸宅の核心を作り出していた。

私は、ジェスキエールにコーチェラ・フェスティバルについても尋ねるべきだった。パームスプリングスで「サマー・オブ・ラブ」の熱気を帯びながら繰り広げられる音楽と芸術の祭典もまた、彼が手がけたレザーベルトで固く締めたタイトなドレスの引き金になったのかどうか聞くべきだったのだ。そしてクルーズコレクションが、この砂塵が舞うカルフォルニアの地で、時に厚手で冬物のように見えるべきかどうかについても尋ねるべきだった。けれども、彼は自分はあくまでもフランス人で、ハンドバッグのヤシの木や女性のコミュニティの感覚の中にあるような砂漠だと強調した。
では、ボブ・ホープの邸宅は、ルイ・ヴィトンに対して、バレンシアガでの駆け出しの頃からジェスキエールの理想像の一部となっていたフューチャリズムへの回帰をもたらしたのだろうか?「私の頭の中にはヒロインがいます。彼女たちは未来的な姿をしているかもしれませんし、平凡な姿をしているかもしれません」とジェスキエールは続けた。「私は、それを複合的なものとして思い浮かべたのです。一人の女性ではなくて、多くの異なった人格なのです」